「わたしのマチオモイ帖」が先日、約1ヶ月の会期を終了しました。
京都会場の担当をしながら、感じたことや思ったことを、振り返り書き留めておきたいという思いと、お世話になった方々へのお礼の気持ちを込めて、久しぶりにブログを書こうと思う。
京都会場の担当をしながら、感じたことや思ったことを、振り返り書き留めておきたいという思いと、お世話になった方々へのお礼の気持ちを込めて、久しぶりにブログを書こうと思う。
「my home town わたしのマチオモイ帖」(以下:マチオモイ帖)とは、全国のクリエイターが、それぞれ自分の思いのある「町」を冊子や映像で紹介する展覧会で、今年で3回目を迎える。
■はじまりとこれまで
マチオモイ帖のはじまりは、瀬戸内海の因島出身のクリエイターが、自分を育ててくれた町に思いを馳せ、作った一冊の手のひらサイズの冊子からはじまり、その町名から「しげい帖」と名付けられ、町の人々に配られました。
これをきっかけに、2011年6月に関西のクリエイターの方々34組の作品展示から「マチオモイ帖」はスタートし、2012年に340作品と大きく出展数を伸ばし反響を呼び、さらに今年は700以上の作品が全国13カ所で同時開催という大きなうねりとなった。
そんなマチオモイ帖との出会いは、メビック扇町を会場とした昨年の春。
ちょうど東京からUターンして京都に戻ってきて、自分にとっての地元であったり暮らす場所について想うことが多いタイミングで、沢山の同志に出会えたようで何だか嬉しくなった記憶がある。
こうして1年後、まさか会場の企画運営として関わるとは思ってもみなかったが、良い機会を与えてくれた友人に感謝したい。
こうして1年後、まさか会場の企画運営として関わるとは思ってもみなかったが、良い機会を与えてくれた友人に感謝したい。
■マチオモイ帖@京都
担当させて頂いた近畿2会場は、京都リサーチパーク町家スタジオという町家のギャラリーで、京都と滋賀の約40作品が並んだ。
作品展示以外に、「マチオモイZin作り」や「マチオモイ歩き」といった企画を行い、マチオモイ帖をより深く味わうような場を、多方面でご協力頂き企画させて頂いた。
Zin部の方を講師に招き開催 |
滋賀県豊郷町。快蔵プロジェクトの皆さんとまち歩き |
他にも「マチオモイサロン」というクリエイターの方をお招きして、作品へ込めた想いや、込められきれなかった想い、制作秘話などをお聞きするトークイベントを、計4回(8名)行った。
マチオモイサロン風景。「しげい帖」の村上さん飛び入り参加 |
■小さな集落から学ぶこと
トークイベントの中でも、尾長という京都の丹波地方の小さな集落出身のクリエイターの方のお話に、これからの暮らしの希望のようなものを感じたのでシェアしたい。
尾長は南丹市に位置する22世帯、100名前後の人々が住まう小さな集落。
・まちのひと達はお互いが愛称で呼び合う
・皆がすれ違いざまに挨拶するのが当たり前
・独居のお年寄りの正月には、お隣近所が雑煮をつくって届ける
・夏にはその方から畑でとれたスイカがいつものように届く
・冠婚葬祭にはお隣近所が支援をしてくれる
・運動会が、高齢者も参加できる工夫(豆を隣に移す競争とか)がある
・「みんなの畑」という恊働する黒豆畑で外貨を獲得する
地域のみんなが顔見知りである状況や、みんなが挨拶をするといったこと、雑煮とスイカの一例が示すようにお互いができることを交換し合うことで、心もちとしては豊かに暮らしているということ。
以前のブログでも紹介した海士町の巡の環の阿部さんの話にも通ずるようなものが、実は少し足を伸ばせば近くにあるという新鮮さを感じ、一度訪れてみたいと思った。
地理的な環境がそうさせるのか分からないけれど、自分たちが暮らす場所で同じような取り組みをしていく為には、果たしてどんなことから考えていけばいいのだろう。
■マチオモイの先の未来
考えのヒントはマチオモイ帖をつくる過程に、どうやらありそうだ。
「自分ごとになり自然とそのマチを歩くことになる」
言い方は違えど、そのように応えるクリエイターの方が多くいた。
歩くことで、これまで気づかなかったヒトやモノやコトの発見や、懐かしい人との再会や、忘れかけていた思い出や感覚を取り戻したりできる。
取材を通じて、まちの事を聞こうとすると、沢山のひとが想いを聞かせてくれ、まちを想っていたのは自分だけじゃないんだ、という感覚にもなったという。
来場者の方にもマチオモイの話を色々と聞かせてもらったけれど、もしかしたら多くのひとが、自分の暮らすマチのことについて、なかなかその想いを声にする場もなければ、聞くひとも少ないのかもしれない。
だとすれば、マチオモイ帖は、目に見える冊子や映像を通じて、そういう想いを表現できたり、町や人の小さな声を沢山集めることで、想いを深めていける場になっているんだろうなと感じた。
「町興し」は、一朝一夕には出来ませんが、
「マチオモイ」なら積み重ねてきた思いが誰にだってある
上の言葉は、昨年出版されたマチオモイ帖をまとめたブックレットで出会ったフレーズ。
なるほど、そうだなぁと思いながらも、まだどこかに辿り着けていないような感覚があるので、せっかくだからもう少し考えてみようと思う(いよいよ長くなってきた、、、)。
自分ごととして考えてみれば、
・一緒に暮らすマンションの住人に挨拶をしてみること
・スーパーではなく、近くにある八百屋で野菜を買ってみること
・昔からある近所の中がよく見えない喫茶店に入ってみること
・今まで素通りしていた歩いて10分の銭湯にいってみること
・できる事なら、ほんの少しおしゃべりをしてみること
マチを想うことは、近くで暮らすヒトを想うことにつながっているのかもしれないし、そんな小さなところからはじまる方が気楽だろう。
少なくとも僕はそうしてみたい、と書きながら思った。
マチを想って自分の暮らしの中で、ひとりひとりが、できる事は大それたことではなく、ごくごく身近なヒトとの関わり合いをより良くするような、小さくて優しいアクションからはじまる。
そんなひと達が増え、積み重なっていくと、わざわざ「まちづくり」という言葉の旗を掲げる必要もなく、まちはつくられていくような気もする。
気がするだけで、当然マチオモイとまちづくりの間にあるものについては、書き綴るだけで見えてくるものではないだろうし、これから日々の暮らしや仕事の実践を通じて、深めてゆきたいと思う。
なんだか尻切れ蜻蛉のような、結びになった感じがするけれど、「マチオモイ帖」の最後のページに、つまりはそういう事なんだなという素敵な結びの一文があったので、お借りして結びにしたい。
■最後に朗報
奈良会場だった奈良県立図書情報館で、奈良、三重、和歌山の作品に加え、大阪、京都、滋賀を含めたエリアの作品を再び集め、4月16日〜マチオモイ帖を開催されるとの事。もし良ければ足を運んでみてください。
▼詳細はコチラよりご覧下さい。
http://www.library.pref.nara.jp/event/saho_art_music_2013/index.html
なんだか尻切れ蜻蛉のような、結びになった感じがするけれど、「マチオモイ帖」の最後のページに、つまりはそういう事なんだなという素敵な結びの一文があったので、お借りして結びにしたい。
『マチオモイ帖』最後のページより |
■最後に朗報
奈良会場だった奈良県立図書情報館で、奈良、三重、和歌山の作品に加え、大阪、京都、滋賀を含めたエリアの作品を再び集め、4月16日〜マチオモイ帖を開催されるとの事。もし良ければ足を運んでみてください。
▼詳細はコチラよりご覧下さい。
http://www.library.pref.nara.jp/event/saho_art_music_2013/index.html