2012/11/04

島のくらしから学ぶこと

11月1日、淡路島にて

友人が所属するNPOが主催する「これからの島のくらしをつくる学校」2限目の授業に参加しました。

ゲストスピーカーの巡の環の阿部さんのお話が素晴らしかったので、
そこでの気づきや感じたことをシェアしたいと思います。
※個人的な解釈が含まれるので、阿部さんの意図と異なる場合があります。

「これからの島のくらしをつくる学校」とは

「島の学校」ではなく、「島が学校」という言葉を掲げ、
淡路島のつながりの場、学びの場を提供し、参加者の皆で「未来の仕事」を作っていく。

全6回の授業の中で今回の授業は、「島を知る」というワークショップで、島根県は海士町の事例を下にしながら、同じ島という事で淡路島に取り入れれるものを模索していく。
という趣旨のものでした。

島の中に「何を残していきたいのか?」「何を大事にしたいのか?」という問いを中心に淡路島に元々住んでいた島内の方と、島外からの移住者の方との視点の違いから多くの気づきを得る事ができました。

ご存知の方も多いかもしれませんが、
そもそも海士町がなぜ注目を浴びているのか、、、

50年後と50年前の日本が共存する島
ある統計によると、日本は今から40年間で、人口が2000万人減少し人口の約1/3が高齢者になるらしい。
一方海士町は、すでに65歳以上の人口が約40%。人口も60年前の約35%に減少(7000人→2400人)。つまり、高齢化問題を体現している。かつ、人口減少に伴う需要不足、気候変動による一次産業の変化、といった今後日本が向かい合うべき課題にすでに直面しているのである。
そこで、島は、世界の課題、いや日本の課題を先取りする「課題先進地域」なのではないか?したがって、日本を背負っていきたいと思っている人は、「将来」日本が直面する課題と、小さい規模で戦う経験をしておくことは有意義なのではないだろうか?今地域に飛ぶと、数十年時代を先取りすることができるかも、という話。
離島から考える、20代の若者が地域現場に飛び込む意義より引用

このように50年後の課題先進国の縮図の地であると同時に、50年前の日本の戦後の古き良き人々の繋がりや温かさが残っているそうです。

海士町の具体的な取り組みも興味深かったですが、それ以上に50年後と50年前が共存する海士町で見えてきた大事なことについて書き留めておきます。

島がおりなす3つの経済

①かせぎ(貨幣経済)
例)日々のお金を稼ぐ仕事「モノを売ることやサービスを提供する」

②くらし(自給経済)
例)人と自然のバランス「自分達で食べるものを自分達でまかなう」

③しごと(贈与経済)
例)人と人の繋がりの助け合いの中で生じる「ぶつぶつ交換」

貨幣経済(資本主義)だけでは生きずらい世の中になってきている現在、
自給経済と贈与経済というGDPに換算されないような経済が注目を集めています。

それら二つの経済が貨幣経済を補完する事で、貨幣経済が縮小していく中でも、
僕たちが生きていく経済システムが機能していくのではないでしょうか。

海士町での阿部さんの生き方は、
この3つが独立したものではなく、一つの小さな△に収まるというお話でした。
収穫物を流通(貨幣を得て)させて、残りを自分で消費(自給)し、余ったらおすそわけ(贈与)するようなイメージでしょうか。とてもシンプルで無駄のない生き方だと思いました。

資本主義に根ざした、かせぎ(貨幣経済)が減少していく時代で、グローバルやITだけがサバイバルのキーワードだとすると寂し過ぎる、と個人的には思います。阿部さんのお話からは、そういったキーワード以外の未来の暮らしや生き方のヒントが沢山詰まっていました。

その阿部さんが最近出版された本です。島の学校ではお聞きできなかった起業のプロセスや島で感じている事や、島くらしをする他の方々のお話などリアルなことが等身大で書かれてあり非常にワクワク楽しませてもらいました。おすすめの一冊です。

最近読んでいた本にも同じように考えさせられた話があったのでシェアします。

ビジネスマンと漁師の話
あるアメリカのビジネスマンは、医者からの指示を受け、メキシコの海辺の小さな村で休暇を取ることにした。 
最初の朝、会社から緊急の電話があった後、眠れなかったので、頭をスッキリさせるために桟橋まで歩くことにした。 
そこには、ひとりのメキシコ人漁師が乗った小さな舟がつないであった。 
なかには数尾のキハダマグロがあた。 
アメリカ人は、メキシコ人漁師の獲物を褒めた。 
「そいつを釣り上げるのにどのくらいかかったのですか?」 
「ほんのちょっとだよ」メキシコ人は驚くほど上手い英語で答えた。 
「なぜもっと長く沖にいて、もっとマグロを釣らないんです?」 
アメリカ人が聞いた。 
「家族が食うだけは十分あるし、少しは友達にもやれるからさ」 
メキシコ人は獲物をカゴにしまいながら答えた。 
「しかし、あとの時間は何をするのですか?」 
メキシコ人は顔を上げ、にっこり笑った。 
「朝寝坊するのさ。少し魚釣りをして、子供と遊び女房のジュリアと昼寝するんだ。それから、毎晩村をブラブラと歩いて、ワインをチビチビやったり、友達とギターを弾いたり。俺は結構やることがいっぱいあって忙しいんだよ。セニョール」 
アメリカ人は笑って、そしてきっぱりとした口調で言った。 
「ご主人、私はハーバード大のMBAを持ってるんです。だからあなたの手助けができますよ。あなたはもっと魚釣りに精を出すべきですね。もっと大きな舟を買うべきです。そうすればやがて数隻の舟が買えるし、漁獲量も増えるでしょう。ゆくゆくは釣り船の船団のオーナーになれますよ」 
アメリカ人は続ける。 
「獲物を仲買人に売らないで、直接消費者に売ればいいんですよ。そうすればそのうち自分で缶詰向上を開業できるようになります。あなたが生産、加工、流通を支配します。もちろん、この海辺の村を離れ、メキシコシティーへ移る必要があるでしょう。それからロサンゼルスへ。最後にはニューヨークシティーにね。うまく舵取りさえすれば、大企業を経営することができますよ」 
メキシコ人は尋ねた。 
「でもさ、セニョール、それにはどのくらいの時間がかかるんだい?」 
アメリカ人は答える。「15年から20年ですね。最長で25年です」 
「で、セニョール、その後はどうしたらいいんだい?」 
アメリカ人は笑い出して言った。 
「そこが一番いいところなんですよ。時期を見て、株式公開をし、自社株を売り出すんです。あなたは億万長者になれますよ」 
「億万長者? で、セニョール、その後は?」 
アメリカ人は答える。 
「リタイアして、小さな海辺の村に住めばいいじゃないですか。そこで朝寝をし、少しだけ釣りをして、子供と遊び、奥さんと昼寝をして、夜は村を歩き回り、ワインをチビチビやり、友達とギターを弾けば、、、」
※『「週4時間」だけ働く』より引用


未来が見えない不安な時代を、どう生きて行くのか?どう暮らしていくのか?を考えるヒントは、先人達が大事にしていた生き方や暮らし方に隠されているのかもしれませんね。

興味のある方は、次回3限目の授業に参加してみてください。
ご案内は、「これからの島のくらしをつくる学校」Facebookページをご覧下さい。
http://www.facebook.com/shimanogakkou